第100回高校選手権大会決勝戦 翌日

2022年1月10日成人の日14時05分キックオフ

青森山田4-0県立大津高校(2-0、2-0)

 

 この100回記念大会の決勝戦のキックオフ直前、プレイヤー、役員、観客の総員が起立して去る1月7日に亡くなった小嶺忠敬監督へ黙とうを捧げた。

 私は10?年ほど前小嶺先生から突然電話を頂いた。「松本先生、日本経済新聞武智幸徳って人知っている?」 急の唐突な質問に私は少々戸惑った。もちろん私は武智幸徳記者を良く存じていた。小嶺先生いわく。「武智さんは俺のサッカーをよくよく見抜いているよ」、との話から始まり、武智さんがどこかで小嶺先生のサッカーについての記事を書かれ、それを小嶺先生自身が読んでの私に対する質問であったのだ。その記事を書いた武智記者について先生はこの時まだ深くご存じではなかったようである。

 いろいろ電話で話している間に先生が質問してきた話の全容を私は理解することができた。この時のキーワードは「落穂拾い」であった。落穂拾いのサッカー、この表現で武智記者は小嶺先生のサッカースタイルを看破したのだそうだ。本人の小嶺先生が「その通り」と認めるのだから仕方がない。

 確かに私は小嶺先生とのお付き合いは長いし、深さもそれなりのものと自分では思っている。しかし、この電話を受けた時はすでに全国で名だたるサッカーの指導者であり、全国優勝を何度もしていた実績十分な名将であった。事実大久保嘉人選手を擁した頃の国見高校のサッカーはドリブルとパスを織り交ぜた小気味よいサッカーで対戦チームを翻弄していた。

 その時になっても落穂拾いのサッカー精神を忘れていなかった小嶺先生。この先生のサッカーに対する執着、執念、拘り、原点への回帰、いろいろ考えると思い出がいろいろ蘇ってくる。先生は優勝インタビューでこんなことも言ったことがある。「勝って兜の緒を締めよ」この事を心のうちに持ちながら出てきた言葉は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、やはり先生の原風景は私たちの生きる食料の源泉ともいえる田園にあったのかもしれない。

 試合前、小嶺先生の逝去に関して今回対戦する両チームの指導者が思い出を伝えていた。大津高校平岡和徳総監督は同じ九州にあってその代表としてなんとしてでも勝利を目指して今日の決勝戦を戦う、それに対して青森山田高校黒田剛監督は小嶺先生の偉業を後追いするようにマイクロバスを運転して強化を図ってきた結果が今日の決勝戦との覚悟で戦うとのことであった。否が応でもこの100回記念全国高等学校サッカー選手権大会勝戦はこの高校サッカー選手権大会を日本中に有名にした名将小嶺忠敬監督へのレクイエムであり、感謝をもって捧げる鎮魂の試合でもあった。

 

 私はサッカーの世界では極端な表現をしばしばする。

この決勝戦の両チームを一言で言うならば、

 

(過去の)小嶺監督の築いてきた「落穂ひろいのサッカー」をさらに力と高さで追求した黒田剛監督率いる青森山田チーム、対 技術とインテリアジェンスを中心に(未来志向の)これからの日本スタイルのサッカーを求めた平岡和徳総監督率いる県立大津高校チーム。

 

 軍配は、青森山田チームの4-0の完封勝ち。大津高校のサッカーはベートーヴェン交響曲“未完成”そのような印象であった。

 大津高校チームは青森山田チームのロングスローがあることがわかっていながらも相手攻撃をタッチライン外にクリヤーして攻撃を断ち切るほかなかった。

 大津高校チームは青森山田チームのコーナーキックが威力満点であることがわかっていながらゴールライン外にボールを出し相手攻撃をしのぐほかない状態に追い込まれていた。

 なんといってもハイボール(ヘディングの競り合い)に対する日頃のトレーニングの質と量が圧倒的に違っていた。球際の身体の使い方と当りの強さも青森山田が勝っていた。

 若年者の成長期にある県立大津高校に対して成人に近い身体能力を持った青森山田、大きく広くパワフルに相手ゴールに突進する青森山田チーム、あのダンプカーが突進していく中で落ちこぼれていく稲穂を拾い集めるような苦労を厭わない、勤勉な、言いようによっては愚直なサッカーで勝利を追い求めるサッカー。

 この小嶺忠敬監督が追い求めた大型バスを自ら運転し全国どこまでもものともしない努力の塊、今回の記念すべき100回大会は小嶺忠敬監督への鎮魂歌と共にこれまでの高校サッカーの総決算であったといえる。

 青森山田の黒田剛監督の限りない努力に対して最高の賛辞を送りたい。3冠はパーフェクトを意味する。

 優勝、そして3冠達成おめでとう、青森山田チーム。

次は頑張れよ、準優勝、県立大津高校